pencapaian 達成した成果


Presiden Susilo Bambang Yudhoyono menyatakan tewasnya pemimpin teroris Dr Azahari merupakan pencapaian terbesar Indonesia dalam menangani terorisme. ("Tewasnya Dr Azahari Pencapaian Besar Perangi Terorisme", MIOL, 12 November 2005)


この pencapaian は「達成した成果」と読むしかないだろうが,pencapaian: proses, cara, perbuatan mencapai (KBBI_3) からは「成果」hasil は出てこない.「成果」が出てくるのは,英語 achievement からである.



中庭96から.

kecapaian

マレーシアは8月31日が独立記念日。政府主催のもろもろの記念行事に付きものと言えば,恒例の国民意識高揚の標語。今年96年の標語は,文化を取り上げての Budaya Penentu Kecapaian である。

そしてこの kecapaian という単語をめぐっての賛否両論が,新聞紙面を大いに賑わした。

4月13日の Utusan Malaysia 紙に,kecapaian といえばどう見ても「疲労」に関することであって,penggunaan perkataan tersebut tidak menepati objektif kerajaan yang ingin melihat pencapaian dalam semua bidang という言語専門家からの批判が表明された。「到達,達成」なら pencapaian だというわけである。

4月29日,関係大臣が記念行事準備委員会の討議概要を説明,閣議でも全会一致で了承されたことであると応酬。

翌30日,kecapaian を pencapaian に訂正すべしという元マラヤ大学副学長 Dr. Mohd. Tib. Osman 教授の意見,そしてこれと対照的な Tan Sri Awang Had Salleh 氏の「意図するところが英語の achievement なら選ぶべきは pencapaian だろうが,attainment となると kecapaian である」との論評が掲載された。

achievement と attainment,こういう風に初めに英語ありきというところがいかにもマレーシアらしいが,ともかく問題の kecapaian は,最新の Kamus Dewan (19943) にも掲載がない。はたしてこの政府導入の kecapaian = attainment が新語として承認されてゆくか否か。言葉が社会の批判に曝されながら揺れ動く過程を辿ってみたい。[SH@brunet 1996.4.30]

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5月4日,学内で形態論に関するセミナーがあり,ここでもこの話題で盛り上がって,次のような議論が交わされた。

  1. 英語の attainment の訳語として新語を設定する意見は傾聴すべきである。
  2. kecapaian は名詞としては感覚的に馴染まない。dihujani : kehujanan に合わせての dicapai : kecapaian を新たに設定することは可能だろうが,これとて受動詞であり,名詞ではない。
  3. コンピュータの分野では,10年程前から,accessibility of data の訳語として既に kecapaian が使われている。[SH@brunet 1996.5.4]